きままにやまま

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久しぶりの投稿(社会人4年目)

 

2~3年ぶりくらいの投稿です。社会人4年目になりました。不定期で時々更新したいと思います。
引越しに際して、紙のノートをすべて捨ててしまったので、自分の備忘録的なものはオンライン上に残しておくべきと感じた次第です。

 

近況としては、シニアコンサルタントへの昇格が決まり、コンサルタントの基本スキルは一通り習得できたと思う。MGRとしてキャリアを積むか、別のキャリアを考えるかという段階にある。

 

最近は仕事が楽しいです。自分の仕事に関するこだわりへの気づきをメモしたい。

 

軸① 面白いことがやりたい

仕事のモチベーションは、「面白いことがやりたい」に集約される。
自分にとっての面白さの要件は、(1)新しくて、(2)インパクトがあること、です。

(1)新しいとは、最先端のテーマ、これから市場が伸びる分野、そのテーマに関わることで自分の市場価値が高まる、ようなテーマを指します。

(2)インパクトがあるとは、自分の価値提供者に対して意味があること、または社会・産業にとっての影響力が大きいことを指します。

 

例えば、いまの取り組みテーマは「デジタルHR」です。

日本の大企業がデジタルトランスフォーメーションに取り組む際に、新しいICT技術を模索しているexploringフェーズから、新しいICT技術を活用し始めたdoingフェーズに移ってきている時代背景があります。
その中で、全社のトランスフォーメーションがdoingで止まらずに、業務・組織・人材・カルチャー・マネジメントも含めたすべてをデジタル適用したBeing Digitalへの変革を支援することが、いまのMYテーマです。

 

軸② 新しいチャレンジを応援したい

どんな仕事をしたいか?と問われたときに、上記の面白いことに加えて、自分の価値提供者に対するこだわりという軸があります。

自分が価値を届けたい相手は、新しいことにチャレンジしている人です。
さらに限定すると、社会や企業の中で、今までにない革新的な取り組み、または困難な変革にチャレンジしている人を応援したい。

 

コンサルティングのプロジェクトにもいろいろあるけれども、御用聞きや、社内政治、お抱えの資料作成部隊(高級文房具)として使われるのはまっぴらでして、トランスフォーメーション案件をやり続けていたい。

コンサルティングに限らず、新しいキャリアに踏み込む場合でも、自分が価値を届ける相手は、チャレンジをしている人という価値基準はぶらさずにいたい。
そして、自分自身が常に起業家精神をもって、チャレンジできているか?を問い続けたい。(答えがNOの場合は、何かを変えるべきタイミングなはず)

 

軸③ International Citizen世界市民)でありたい

これまで3年間の仕事は、ドメスティックな仕事が中心でほぼ英語を使いませんでした。
でも、最近はデジタル関連の新規サービス立ち上げにコミットしていまして、グローバルナレッジの意識的なインプットや、USのメンバーファームとの協同も増えてきて、グローバルスキルが求められるようになってきました。

そこで痛感するのは、自分の英語力の足りなさです。
英文メールを一つ書くにも1時間かかるし(ぐぐりまくり)、callで相手が何を言っているか理解するので精一杯の状況である。

 

自分が目標とする人たちや、自分のインパクトを高めるためには英語は必要要件だと感じます。もっと、自分のキャリアをインターナショナルに、もっと英語を使いこなせるようになりたい。

インターナショナルに活躍している人は、ダイバーシティ(どのような他者に対してもリスペクトを怠らない姿勢、どのような相手も受け止められる懐の大きさ、どのような状況にも対応できる柔軟性)の感覚を持っていて、接しているだけで気持ちがよいです。自分の強化したいポイントである。

 

以上が最近の気づきでした。

自分の言葉を忘れてしまったよ

 

 社会人になって1年と3ヶ月が経ちました。最初の半年くらいは研修含め楽しかったのだけど、残りの9ヶ月間はつまらなかった。

 

自分のやりたいことや、わくわくすることができていない。

 

 自分のやりたいこともわからなくなってくるし、言いたいこともわからなくなってきた。自分の言葉を忘れてしまったよ。

 

自分に対して素直に正直に生きるために、自分の言葉で話すことから始めよう

年金は払うべきか否か

 

年金について理解できていなかったので勉強してみました。

このブログを読まれるであろう方は、第二号被保険者(会社員など)が中心なのではないでしょうか。その場合の実質的な負担額は月給の約8.5%(17.120%の半額を会社が負担)です。年収500万の場合、月額約3.5万円、年額42万円(!)に相当します。かなりの負担額です。

なぜ、私たちは年金を支払わなければならないのでしょうか?

 

働き方、暮らし方に応じて変わる公的年金加入

引用元:

日本の公的年金は「2階建て」 | いっしょに検証! 公的年金 | 厚生労働省

 

 

●問い:年金は払うべきか否か

結論から言うと、年金は払うべきです。

  • 理由1:社会保証制度だから(個人の積み立て投資ではない)
    "そもそも公的年金制度は、現役世代が受給世代を扶養する「世代間扶養」の仕組みのもとで運営されている、社会保障制度です。本来、個人や世代の差による損得を論じる性質のものではありません。"

    引用元:世代間格差の正体~若者って本当に損なの? | いっしょに検証! 公的年金 | 厚生労働省

  • 理由2:未払い者は約5%以下と少数派だから(人数比の問題ではなくて、年金という仕組みがそれなり以上に機能している)
    "公的年金加入対象者全体でみると、約95%の者が保険料を納付。(免除及び納付猶予を含む)" "未納者(注1)は約296万人、未加入者(注2)は約9万人。(公的年金加入対象者の約5%)"
    引用元:平成24年度の国民年金保険料の納付状況と今後の取組等について

  • 理由3:強制だから(私たちに支払いを選択する権利はない。第二号被保険者は給料から天引きされる。
    "国民年金は、日本国内に住所のある20歳以上60歳未満のすべての人が強制加入し、老齢・障害・死亡の保険事故に該当したときに基礎年金を支給する公的年金制度である。""納入告知後の保険料や延滞金などの徴収金については、国税徴収法に基づき徴収することと規定され、徴収金を滞納した者に対しては、社会保険庁長官は督促を行い、指定した日(指定期限)までに保険料が納入されないときは滞納処分(差押・換価・充当(配当))を行うことができる。また、この場合には延滞金(年利14.6%)が課せられる。"
    引用元:年金未納問題 - Wikipedia

 

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●全体として、何が問題なのか?

問題は大きく2つ。第一に、少子高齢化が進む日本社会では、現在の年金制度は持続可能な仕組みでないこと。第二に、第一の理由を背景として、第一号被保険者(特に若年世代)において、年金を支払っても十分な見返りが期待できないこと。

しかし、この問題は実は問題にならない。

上記のような問題意識が生じる理由は、年金制度への誤解があることです。年金は自分の将来に備えた投資ではなくて、現在の老齢世代を養うための社会保障制度です。いまの若者が損をする、得をするという点は、そもそも年金制度を運営する視点からするとどうでもいいこと。

自分もその理解が得られるまでは、絶対に損するだけなので支払いたくないと思っていました。でも、年金は日本社会の市民として課される義務の一つなのだと思えば、納得して支払っても良いかなと思えるようになりました。

 

以上をふまえた上で、個人的に問題を感じる点が2つあります。

第一に、年金制度のミッションが全ての人に生活への安心を与えることであるならば、未払い者が受給できない現状は問題がある。加えて、最低限のセーフティネットを与えることが目的なら、高所得者への傾斜支払いは不要だと思います。それなら、そもそも徴収額を下げてくれよって話であって。

第二に、若者から高齢者への所得移転を進める仕組みに違和感を覚えます。直感的に高齢者よりも若者の方が経済的弱者だと感じます。厚生省による2010年度の年齢階級別の所得に関する統計によると、世帯人員1人当たり平均所得金額は「60~69歳で216.3万円」「70歳以上で186.9」である一方で、「29歳以下では163.6万円」です。

引用元:平成22年国民生活基礎調査の概況|厚生労働省

 

したがって、例えば最低限生活に必要な月額8万円などを所得など条件を満たす全ての人に支給すべきだと思います。同時にその他の生活保護等、社会的セーフティーネットを提供する仕組みと統合して一本化することが望ましいです。ポイントは以下二点です。①最低限の生活を全ての人が保証されること、②年齢ではなく、所得に基づいて支払いを行うこと。

 

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●では、一個人としての私たちへの示唆は何か?

年金に対して不満を感じていようが、若年層にとっては損でしかない仕組みであろうが、とにかく年金は支払うべきですし、社会の一員として支払うことが合理的な選択だと示しました。

そのうえで、年金に関して留意すべき点を一つだけ。
今現在、第一号被保険者(自営業者など)である人と、将来的に第二号被保険者(会社員・公務員など)から第一号被保険者になる可能性がある人は、正しく制度と手続きを理解するべきです。控除・免除など使える制度はしっかり活用して、不利益を得ないように義務と責任を果たしましょう。

 

以上、年金制度は合理化すべき点、時代に合わせて改善すべき点はたくさんありつつも、国全体の視点からは仕組みとして悪くないものだと思っています。より良い仕組みになりますように、担当者の方がんばってください!

派遣留学応募資料

 いま交換留学でシンガポールにあるSMU(Singapore Management University, シンガポール経営大学)という大学で勉強しています。8月〜12月までの約4ヶ月間、1セメスターの間です。

 ところで、いま履修登録に悩んでいます。とりたい授業が多い一方で、各授業がそれぞれどういう内容なのかよくわからないし、履修できるのかさえもわからない状態ですw

 そこで、初心を思い出すべく留学応募資料を読み返してみました。もうほんとに、すごく恥ずかしくて、でも当時の自分が真剣に考えた跡もわかって。自分にとっては大事なものなんだなと、読んでいて思いました。2013年の6月、シアトルから帰国した直後、タイとインド旅行の合間の時間に慌てて書き出したのだっけ。1年くらい経ちますが、根本的な部分は変わっていないみたいです。

 ほんとに恥ずかしいものなのだけど、記念として転記しておきます。

 

●派遣留学自己推薦状

 

 私の夢は頑張っている人を応援することだ。具体的には、非営利セクターで社会課題に挑む人たちに貢献したい。今回の留学は夢の実現に向けて、重要な一歩だと確信している。

 私が夢をもったきっかけは、大学1~3年次に行った起業家型リーダー育成に取り組むNPOでのインターンシップだ。社会課題解決に挑む人たちと仕事をする中で、志をもって生きるかっこよさや、挑戦する人を支える喜びを知った。

 その後、大学4年次前期を休学し、非営利セクターの先進地である米国シアトルのNPOにてインターンシップを行った。そこでは、非営利セクターのリーダーたちに、リーダーシップトレーニングを提供する。この経験を通して、異なる価値観をもつ人々と、理解し、共感し合える関係性を築くリーダーシップを学んだ。また、米国社会において、ビジネスセクターと対等に協働する非営利セクターの存在感の大きさに感銘を受けた。米国NPO職員の専門性の高さと、チャリティだけではなくビジネスの論理を理解することが、成果を実現するために必要だと知ることができた。

 私はこれまでの経験から、主体的に自分で目標を設定し、行動する大切さを学んできた。大学1年次には、当時ゼミで学習していた社会的企業に関して、現場の人々はどういう想いを持ち、どういう課題に挑んでいるか現実を知りたいと思い、長期インターンシップに挑戦した。大学4年次には、非営利セクターの先進地である米国シアトルと、日本の非営利セクターにはどういう違いがあり、どういうスキルを身につける必要があるか知りたいと思い、休学してのインターンシップに踏み切った。

 今回応募する派遣留学では、シンガポール経営大学の多国籍な環境の中でビジネスを学び、特にSchool of Accountancyで会計に焦点を当てて、米国公認会計士の資格取得も視野に入れながら学習することを目標としている。また、米国でリーダーシップトレーニングを提供してきた経験から、派遣先での課外活動として、文化や価値観が異なる人々が互いに理解し合える場づくりにも取り組みたいと考えている。自分自身が留学生である立場から、他の学生たちにとって学びのある環境づくりをすることで、派遣先大学でのコミュニティづくりに貢献していきたい。このように、今回の留学でも明確な目標を設定し、達成に向けて主体的に挑戦していきたい。

 私は、ビジネスの視点、特に非営利セクターで不足している会計や資金調達に関する知識を身につけ、社会に貢献したいと志している。そのために、将来は海外大学院でビジネスを学び、海外NPOにて経験を積んだ後に、学んだことを日本社会に還元していきたい。

 以上、全ての理由から私は留学を志望し、この留学は私の夢と将来計画の実現に欠かせない経験だと考えている。

(1124字)

 

 

●留学計画書

o  派遣先大学の選定理由及び派遣先大学での履修・研究計画

 私がシンガポール経営大学を志望する理由は三つある。第一に、シンガポールの多国籍な環境に魅力を感じること。第二に、理念・教育方針に共感していること。第三に、会計に特化した学部をもつことだ。

 私が留学を志望する目的のひとつは、多国籍な環境の中でビジネスを学ぶ経験をすることだ。多国籍な国際都市であるシンガポールで、多様な人種や文化をもつ学生と学べる機会に魅力を感じている。また、姉がシンガポールのインターナショナルハイスクールに進学していたことから、いつか自分も留学をするならシンガポールで勉強したいと憧れてきた。今後、多国籍企業のアジアでの中心拠点になるので、将来的にはシンガポールで働く機会を得たいと考えている。

 シンガポール経営大学を志望する一番の理由は、理念・教育方針に共感していることだ。私は大学1~3年次に起業家型リーダーを育成することをミッションとするNPO法人インターンシップを経験したことから、教育機関として起業家精神をもつリーダー育成に取り組む理念に共感している。教育方針に関しても、(中略)その魅力を知っている学生として親近感を感じている。

 私はシンガポール経営大学のSchool of Accountancyを志望している。会計に焦点を当てながら、ビジネス・経営で成果を生むために必要な多面的な理解を得たい。私はビジネス・経営において、お金の流れと、やりとりに関する知識、特に会計の知識が重要だと考えている。会計に焦点を当てて学ぶことで、これまで(中略)学んできた幅広い商学経営学の知識や、専攻するマーケティングの知識が自分の中で統合され、多面的な理解が得られるだろう。

 また、派遣留学期間中は、米国公認会計士の資格取得も視野に入れながら、主体的に学習することを目標としている。シンガポール経営大学は、米国ウォートン・スクールを中心として、米国型のカリキュラムを採用している。米国型のカリキュラムで会計を学べる点も、私がシンガポール経営大学で会計を学びたいと考える理由のひとつである。

以上、全ての理由から私はシンガポール経営大学を志望している。

o  これまでの履修・研究内容

 私がこれまで(中略)で学んできたことは、大きく三つである。第一に、幅広い商学経営学の知識。第二に、専攻するマーケティングの視点。第三に、批判的に物事を考え、自分なりの仮説をつくる方法である。

 私は大学1~3年次で、幅広く商学経営学の知識を学んできた。それにより、自分なりに商学経営学に対する全体像を持てるようになった。全体像を持ったときに、改めて自分がいま必要としていて、足りていない分野を考えたときに、会計学に焦点を当てて学びたいと思うようになった。現在は、独学で簿記資格試験に向けて学習しながら、派遣留学までの期間は会計学関連の授業を中心に履修する予定である。

 私は(中略)マーケティング専攻している。マーケティングを通した一番の学びは、顧客のニーズを中心に考える重要性を実感したことだ。あらゆるビジネスにおいて基本となる重要な視点を学ぶことができた。また、マーケティングを学ぶ中で、小売店の価格交渉力、製品在庫サイクル、マーケティング計画立案など、様々な場面で会計学の知識の重要性を感じることがあった。マーケティングを専攻したことで、他の授業で学んだ商学分野の知識とのつながりを見つけることができた。

 大学二年次、三年次のゼミでは、単なる知識を暗記することではなく、批判的に物事を考え、論理的に思考し、自分なりの問いや仮説を創る方法を学んだ。特に、昨年夏に行ったインドネシアでの調査プロジェクトでは、インドネシアの消費者の暮らしについて、自分で問いを立てて、仮説をつくり、調査をして、提案内容にまとめて発表するという、一連の研究プロセスを経験できた。

o  留学後の将来計画

 私は将来的に海外大学院に進学してビジネスを学び、海外NPO法人で働き、学んだことを日本の非営利セクターに還元したいと考えている。

 私はこれまで、日本で起業家型リーダーを育成するNPO法人と、米国シアトルでリーダーシップトレーニングを提供するNPO法人でのインターンシップを経験した。その経験から、非営利セクターではビジネスの視点をもって、成果を生み出せる人材が求められていると痛感する。特に、会計や資金調達に関する人材不足は深刻である。私はグローバルな視点からビジネス、特に会計を学び、その知識を生かして社会に貢献したいと志している。

 したがって、今回の留学は私の将来において、重要な一歩であると確信している。

(1965字)

全体最適は正しいのか?

 

 「全体最適が正しい」という考え方は世間一般に支持されるものだと思います。個人的にも支持している。

 ただし、「なぜ、全体最適は正しいのか?」「いつから全体最適が正しいと考えるようになったのか?」という問いを考える機会はない。全体最適を求めることが合理的であり、当たり前に正しいことだと認識してきた。

 私が全体最適が正しいと考えるようになった背景には、ベンサム功利主義(正しく理解できているかは自信ないけど、、)が影響していると思う。
ジェレミ・ベンサム - Wikipedia

 

そんな当たり前の前提に対して疑問を投げかける良記事がこちら。
Chikirinの日記(2009-04-16)全体最適 vs. オレ様最適
全体最適 vs. オレ様最適 - Chikirinの日記

 

全体最適とは、

全体最適」という概念があります。個々の構成員と、その集合体としての組織や全体の仕組みがある時、個々の構成員にとってではなく「全体として最も価値が高くなる方法」を選ぶ考え方です。 

提示される問い

私たちは、この「全体最適で考えることはよいことだ」という感覚を、いつどこで学ぶのでしょう?

問いに対する3つの答え

(1)仕事を通して、全体最適が合理的な思考であると教えられる。

(2)価値観として“全体最適エライ論”が存在する。

(3)「全体最適=自分最適」の人が、全体最適思想を主張・推進している。 

 

 ここで、特に注目したいのは3つ目の答えに関してです。

(3)「全体最適=自分最適」の人が、全体最適思想を主張・推進している。  

 

 余談ですが、主に大学2年生頃、以下のようなテーマをもんもんと考えていました。
「社会に良いとは何か?”社会に良い”と主張されることでも、社会におけるある一面を捉えただけであって、結局は特定の誰かへの利益移転なのではないか?立場が変われば、社会に良いの定義は変わるのではないか?」
「様々な主義主張がある中で、絶対的に正しい考え方なんてないのだろう。では、その中で自分はどんな主義主張を支持したいのか?それは、なぜか?」
「社会的インパクトがあるとは何か?ニッチな社会課題に取り組む意義は理解できるけど、限られた資源を考慮すれば、社会的影響力の大きい社会課題に資源を用いた方が有効なのではないか?」
「自分が取り組むテーマを定める際は、自分の興味関心体験、実現可能性(自分だから取り組める課題という視点もある)、社会的インパクトの大きさ、たまたまのご縁、といった判断軸にどう優先順位をつけるか?」

 上記の個人的な問題意識をふまえて述べたいのは、ある政策・事業・取り組みについて、「社会貢献」「社会的インパクトが大きい」「世の中に必要である」と主張されるほとんどが、”全体最適=自分最適」の人が、全体最適思想を主張・推進している。  ”に当てはまるだろう、ということだ。

 良いとか悪いとかではなく、社会の原理として、それ自体は問題ではない。考えるべきは、(全体最適を基にした)ある主張は誰にどのようなメリット・デメリットをもたらすのか?、自分はその主張に対してどう対処すべきか?、という点である。

 

 結論として言いたいことは、「社会的(または経済的)に正しいとされる主張を支える根拠として、”全体最適を満たす”は根拠にならない場合が多いだろう。しかし、全体最適は盲目的に正しいと信じてしまいやすい」ということ。社会の中にある様々な主張に対しては、自分の頭で考えたうえで正しいと信じられるものを支持したいです。