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全体最適は正しいのか?

 

 「全体最適が正しい」という考え方は世間一般に支持されるものだと思います。個人的にも支持している。

 ただし、「なぜ、全体最適は正しいのか?」「いつから全体最適が正しいと考えるようになったのか?」という問いを考える機会はない。全体最適を求めることが合理的であり、当たり前に正しいことだと認識してきた。

 私が全体最適が正しいと考えるようになった背景には、ベンサム功利主義(正しく理解できているかは自信ないけど、、)が影響していると思う。
ジェレミ・ベンサム - Wikipedia

 

そんな当たり前の前提に対して疑問を投げかける良記事がこちら。
Chikirinの日記(2009-04-16)全体最適 vs. オレ様最適
全体最適 vs. オレ様最適 - Chikirinの日記

 

全体最適とは、

全体最適」という概念があります。個々の構成員と、その集合体としての組織や全体の仕組みがある時、個々の構成員にとってではなく「全体として最も価値が高くなる方法」を選ぶ考え方です。 

提示される問い

私たちは、この「全体最適で考えることはよいことだ」という感覚を、いつどこで学ぶのでしょう?

問いに対する3つの答え

(1)仕事を通して、全体最適が合理的な思考であると教えられる。

(2)価値観として“全体最適エライ論”が存在する。

(3)「全体最適=自分最適」の人が、全体最適思想を主張・推進している。 

 

 ここで、特に注目したいのは3つ目の答えに関してです。

(3)「全体最適=自分最適」の人が、全体最適思想を主張・推進している。  

 

 余談ですが、主に大学2年生頃、以下のようなテーマをもんもんと考えていました。
「社会に良いとは何か?”社会に良い”と主張されることでも、社会におけるある一面を捉えただけであって、結局は特定の誰かへの利益移転なのではないか?立場が変われば、社会に良いの定義は変わるのではないか?」
「様々な主義主張がある中で、絶対的に正しい考え方なんてないのだろう。では、その中で自分はどんな主義主張を支持したいのか?それは、なぜか?」
「社会的インパクトがあるとは何か?ニッチな社会課題に取り組む意義は理解できるけど、限られた資源を考慮すれば、社会的影響力の大きい社会課題に資源を用いた方が有効なのではないか?」
「自分が取り組むテーマを定める際は、自分の興味関心体験、実現可能性(自分だから取り組める課題という視点もある)、社会的インパクトの大きさ、たまたまのご縁、といった判断軸にどう優先順位をつけるか?」

 上記の個人的な問題意識をふまえて述べたいのは、ある政策・事業・取り組みについて、「社会貢献」「社会的インパクトが大きい」「世の中に必要である」と主張されるほとんどが、”全体最適=自分最適」の人が、全体最適思想を主張・推進している。  ”に当てはまるだろう、ということだ。

 良いとか悪いとかではなく、社会の原理として、それ自体は問題ではない。考えるべきは、(全体最適を基にした)ある主張は誰にどのようなメリット・デメリットをもたらすのか?、自分はその主張に対してどう対処すべきか?、という点である。

 

 結論として言いたいことは、「社会的(または経済的)に正しいとされる主張を支える根拠として、”全体最適を満たす”は根拠にならない場合が多いだろう。しかし、全体最適は盲目的に正しいと信じてしまいやすい」ということ。社会の中にある様々な主張に対しては、自分の頭で考えたうえで正しいと信じられるものを支持したいです。